こんにちは!ヒロ田です。
昨日(ヒロ田的病気年表①)
の続きを書きます。
◆2005年4月頃~
毎月1回受診日に合わせて
外来でレミケード投与。
だいたい3時間くらいかけて
点滴をする。
この頃、仕事も頑張っていたので
疲れもあったからか、本を読んでいる
うちに眠くなって2時間近くは寝た。
この時期は、食べることもできていたので
体重は58kgくらいに戻っていた。
◆2005年7月頃
この頃、レミケードをやっていたからか
お酒を飲むことはなかったものの、
食べ物は好きなものを食べていた。
ラーメンや
ピザ、、、
脂っこいものでもなんでも。。。
そうすると、やはりお尻に膿が溜まるのだが、
シートン術をやっていて、常に膿が出る状態に
なっているから、パッドが膿を受け止めて
くれる状態。
少し悪くなってきた…と思ったら
受診日&レミケード日。
点滴をやっているうちに良くなってくるのが
わかってくる。
最高だった。
◆2005年10月頃
この頃の受診日あたりも
だいたい同じパターンだった。
ちょっと悪くなりかけてきたらレミケード。
レミケードは最強だった。
これで維持できるなら、この先なんの心配もない。
そう思って受けたレミケードだったが、
この日は違っていた。
レミケード開始後1時間くらいして、
なぜかトイレに行きたくなる。
トイレに座っていると、なんだか心臓が
バクバクしてきた。
『あれ、、、ちょっと呼吸が苦しいぞ…』
トイレの個室から出て手を洗いながら
鏡を見てみる。
『あれ、、、なんか顔ちょっと赤くて
目の周りが腫れぼったいぞ』
『呼吸もなんか苦しい』
外来の点滴をやっている部屋に戻る。
「ヒロ田さん、大丈夫ですか?」と看護師さん。
「いや、なんかダメそうです。」
「あれ、すぐ寝てください。先生呼んできます」
アナフィラキシーショックだった。
◆2005年10月頃
レミケードは一時中止になった。
しかし、他に治療方法がなかった。
基本は絶食が良いのだが、それも辛いだろうから
とのことで主治医が次に提案してきた治療は
1泊入院してゆっくり時間をかけて
レミケードをやること。だった。
今まで外来で3時間でやっていたのを
8時間くらいかけてやろう。と。
もし何かあっても1泊入院してくれたら
すぐに対応できるからそのほうがいい。
外来ではもうできないとのことだった。
ボクは1泊入院してやることにした。
◆2005年6月頃~2006年9月
レミケードを1泊入院でやるようになって、
最初の1時間は、ものすごくゆっくり点滴を落とし
体調に変化が無いか様子を見る。
そして少し早めて3時間。
もう少し早めて残りの時間。
という感じでやることによってショック症状は
おきなくなった。
◆2006年10月頃
身体に異変が起きてきた。
ご飯を食べるとお腹が痛くなってきた。
今までクローン病になっていても
ボクは腹痛が起きないタイプだった。
ところが痛みが出てきた。
『もしかしてこれは狭窄になりかけてるのか?』
受診日まで二週間くらいある。
ボクは残りの二週間を絶食して過ごすことに決めた。
だいたい二週間も絶食すれば体調が良くなる
はずだった。今までは。。。
ところが、、、
この時ばかりは違った。
絶食して鼻からチューブ(鼻チューと言ってる)
を入れてエレンタールをしていても
腸の辺りを通過するときに痛みが出る。
『えっ?エレンタールでも腹痛?』
ボクは今までとは違う状況に少し戸惑った。
しかも、この時期、痔ろうも悪化していた。
◆2006年11月
受診の日だ。
「エレンタールだけでも腸を通過するときに
痛みが出るようになってきたけど
狭窄ですかね?」と主治医に告げる。
「あれ~、、、痛いの?
ちょっとカメラ見てみないとわかんないけど、
採血結果もずいぶん悪くなってる。」
「一回大腸カメラしてみようか。」
「いつなら大丈夫?」
ボクは、そんあに日にちを空けずに予約を
入れた。
◆2006年11月29日
大腸カメラの日。
検査をしている最中、主治医が
「うわ~、、、こんなになってるのか。
なんかショックだな~」
と言っていたのは聞こえてきたが、
何せ寝かされてるので、すべてはわからない。
ただ、状態は良くないのだというのはわかった。
目を覚ましてから医師のもとへ。。。
「あのね~、2か所に狭窄ができてて
もう外科手術しか方法がないだ~。」
狭窄ってどれくらい細くなってるのか聞いてみた。
「爪楊枝くらいの細さが2箇所で
長さがだいたい10cmずつくらいの狭窄」
爪楊枝ってなんだ。。。
「まずね、外科の先生紹介するから、
そこで手術してもらったほうがいいわ」
そういうことでボクは大腸狭窄による
手術をすることになった。
続きはまた明日書きます。
ではまた。
ヒロ田