ヒロ田的病気年表③です。
①でまとめようと思っていたのに
気づけば③にまでなっちゃいました。
今回の記事で終わらせます。
少し内容を省いて書いていきます。
◆2006年12月1日~12月28日
外科手術をする前に、
検査をしておく必要があるので
主治医のいる消化器内科に入院。
この間に、痔ろうも悪化したので
肛門科に2泊3日転院して痔ろうの手術。
消化器内科に一度戻ってから、
今度は紹介された外科に転院。
12月14日に移動→入院。
12月21日、大腸バイパス術2箇所を
腹腔鏡で6時間の手術。
12月28日、お正月を迎える前に退院。
自宅でお正月を迎えることができた。
◆2007年1月頃
手術したのだから悪いところはないはずだ。
普通の人と同じになったのだ。
そう思い、普通のご飯を食べていた。
月末頃、消化器内科の医師に
手術の報告と医師から預かってきた手紙を渡す。
採血結果は、相変わらずCRPは2.00台。
あまり良くなっていない。
◆2011年2月頃
風邪をひいて熱を出したところから
再び体調が悪くなる。
医師からヒュミラを勧められ、
やっていくことになる。
◆2011年3月頃
ヒュミラ1回目。
あまり効果は感じれなかった。
◆2011年4月頃
ヒュミラ2回目。
何となく効果が出ているのかも…
程度で、明らかな改善は
はっきりとわからなかった。
◆2011年5月頃
ヒュミラ3回目。
主治医がレミケードが効きすぎたために
狭窄になったので、ヒュミラも気をつけて
ないと、また狭窄になったら困る。
ということで大腸カメラの検査も行う。
若干の狭窄があるとのこと。
おそらくヒロ田さんは薬が効きすぎる
とんことで、ヒュミラもやめたほうが
良いということになった。
◆2011年10月頃
Gキャップ(顆粒球吸着療法)を
やっていこうとなった。
レミケードやヒュミラと違って
副作用もそんなにないとのことだった。
◆2011年11月頃
Gキャップスタートする。
しかし、あまり効いている感じはしない。
◆2011年12月頃
Gキャップ3回目。
この時、ボクは肺炎になりかけていたため、
一週間通院で抗生剤の点滴も受ける。
抗生剤+Gキャップが良かったのか、
痔ろうからの膿が止まっていく
感じがわかった。
◆2012年1月頃
CRPはさほど変わりなく2.00台。
体調は良くなってきた。
これから1年くらいは良いままだった。
◆2013年1月頃
徐々にではあったが、
再び体調が不良となってきた。
レミケード合わず、ヒュミラ合わず、
Gキャップも効果が無い。
絶食してエレンタールでお腹を休めたり、
薬を飲んで日々を過ごすしか方法がなかった。
◆2013年6月~
体調が悪くなってきたら絶食してエレンタール。
二週間続けてみる。
それでもダメなときは、左の鎖骨下にポートと
いうものを埋め込んでいて、そこに点滴を刺して
栄養を取るということもやっていた。
これも二週間くらいやっていると、体調がずいぶんと
回復していった。
◆2014年前半~
2013年のようにやっていくことで
どうにか持った。
これで良かったのだが、、、
さすがに甘くはなかった。
また腸が暴れだしてきた。
トイレの回数が増えていく。
徐々に徐々に増えていった。
◆2014年後半~2015年
トイレが増えていくだけなら
まだ良かった。
トイレに行きたい。と思った時には
漏れてくることが増えてきた。
大腸カメラをやったりした結果、
もう大腸全摘しかない。
全摘したほうが楽になると思う。
大腸全摘ということは、、、
ストーマ(人工肛門)になると
いうことだった。
◆2016年2月
数ヶ月考えて、ボクはストーマ(人工肛門)
になることを決断した。
トイレの回数&お漏らしが半端じゃなく
増えてきたし、ゆっくり寝ることも
できなかった。
◆2016年4月28日
大腸全摘手術。
ストーマ(人工肛門)となる。
◆2018年5月~
現在、小腸だけになったが、
その小腸の終わり部分(大腸が
あれば大腸に近い部分)に、
潰瘍ができている。
医師は、これは、最終的にまた手術しなきゃ
ダメかもね。
でも、そうならないように、ヒュミラもしくは
ステラーラをやっていこう。
というお話になっている。
この年表に書いたことは、
今後、記事で詳細を書いていくので
参考にしてみてください。
ではまた。
ヒロ田